研究の概要

障害のある子ども・青年、特に青年期の若者を対象とした教育・学習の機会保障を通じて、特別な教育的ニーズを有する人の学びを教育学全体に位置づけることを考えています。学校教育での「特別支援教育」を、学校外(乳幼児期の保育、青年期の学び)から見ることで、生涯にわたる学習をどのように構築し、またそれを権利としてどのように保障していくのかということを、以下のような研究テーマから深めています。

青年期における障害者の生涯学習権保障に関する研究

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【権利論的考察~障害があっても学び続けたい~】
知的障害を抱える青年は、同年代の青年や、他の障害に比べて18歳で学校教育を終えるのがわが国の実態である。権利保障においても、障害/障害種による格差が存在するが、本来ならばあらゆる機会にあらゆる場所で、「生涯にわたり学習する権利」が保障されなければならない。
しかし、特別支援学校高等部卒業後の大学・短大への進学率は1%台と低く、18歳以降の権利保障は学校教育の制度下では弱く、社会教育や福祉現場における努力に委ねられている状況である。
このような中、全国的には、地域における障害青年の学びを保障する実践としての「オープンカレッジ」「大学公開講座」や、私立校で試みられている特別支援学校(養護学校)高等部専攻科などが注目されている。これらの実践では、職業自立や社会自立を果たす上での学習の必要性や学習を通じた人格的自立の形成が確認されているが、逆に特別支援教育における高等教育の「代位」の側面があり、中等後教育の在り方を問うものとして今後は検討を重ねなければならない。折しも、2017年度から文部科学省が「特別支援教育の生涯学習化」の政策方針を打ち出したところであり、今後は学校教育だけで完結しない教育の在り方が問われている。

【実践分析~青年期教育の実現と発達保障~】
本研究では、知的障害・発達障害の青年に対して行われる高等教育の「代位」としての実践から、「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」(憲法26条)の形式的/実質的保障の検討を行っている。本研究における権利論的考察は権利の形式的保障から、実践分析は実質的保障からのアプローチである。
実践分析においては、特別支援学校高等部専攻科(知的障害対象は国立1、私立9校のみ設置)、それに代わる形で障害福祉サービスを活用した「福祉型専攻科」における先行事例の場で学ぶ青年たちの育ちを読み解くとともに、青年期の発達保障に資する青年期教育のあり方を検討している。
青年期は「第二の誕生」「疾風怒濤の時代」などと呼ばれ、「自分くずし・自分さがし」による「自分づくり」を行う時期である。この時期の発達課題は、人格の再体制化である。再体制化の時期に、就職(就労)をめざした職業教育で学校教育が行われ、青春時代の経験が奪われる形で育ちがはく奪されている。「専攻科」等の18歳以降の学びの場では、そのような奪われた経験を取り戻し、社会へと橋渡しする形で「子どもから大人へ」「学校から社会へ」という二重の移行支援を実現している。人生百年時代と言われる中で、18歳で教育の機会が打ち切られることなく、「障害があるからこそゆっくり丁寧な教育」を保障することが急がれる。

糸賀一雄の発達保障思想の形成に関する研究

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戦後、「知的障害児の父」と言われた糸賀一雄(1914-1968年)は、1946年、池田太郎・田村一二らとともに、滋賀県大津市南郷の地に近江学園を創設した。学園は当初、戦災孤児・生活困窮児と知的障害児をともに受け入れるとともに、教育・福祉・生産・医療・研究の多面的な機能を兼ね備えた民間の総合施設として計画された(1948年から県立へ移管)。また、年長者や重症者に対応する施設の創設など、新たな課題に対応するべく施設を分化させ、法制度よりも先行した試みも行われていく。近江学園は、戦後の知的障害児教育・福祉のパイオニアとしての役割を果たしてきた施設であるとともに、わが国社会福祉全体の発展に大きく貢献したとして評価される。
糸賀が残した言葉に「この子らを世の光に」という言葉がある。「この子らに世の光を」ではなく「この子らを世の光に」という形で語られることが多いが、前者は恩恵・慈善的な当時の障害観・福祉観を示し、後者は近江学園や西日本初の重症心身障害児施設・びわこ学園等の実践を通して築き上げられた、本人の自己実現・主体性を軸とした新たな視点の提起である。これは、ノーマライゼーションやエンパワーメントといった、後の福祉の思想を先取りするものとしても注目される。このような糸賀の思想や近江学園の実践を通して確立された障害観・児童観または人間観は、「発達保障」思想として教育・福祉関係者に共有されてきた。
糸賀は鳥取県鳥取市の生まれで、日進小学校(鳥取市)、義方小学校(米子市)、鳥取第二中学校(鳥取東高)などで学び、幼少期から青年期までを鳥取の地で過ごした。2014年は生誕100周年、2018年は没後50周年にあたり、その功績に対する顕彰が重ねられてきた。来る2024年には、生誕110周年を迎える。
本研究では、糸賀の発達保障思想がどのように形成されてきたかを検証することとあわせ、一施設の実践がわが国の障害児教育・福祉の諸施策にどのような影響を与えてきたかを明らかにしていく。特に、糸賀が故郷鳥取の地に残した「ミットレーベン(mitleben:ともに暮らす)」の語は、志半ばでこの世を去った糸賀の未完の思想を読み解くうえでも鍵になると考える。
そして、福祉先進県を志向してきた鳥取県において、郷土出身の糸賀の精神をどのように引き継いでいくか、特に学校や地域における福祉教育(学習)実践へ反映させるための作業を行っている。

中等教育・高等教育の無償教育の漸進的導入に関する研究

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【中等教育・高等教育の漸進的無償化】
2012年9月11日、日本政府はそれまで一部留保してきた「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約/国際人権A規約)第13条2(b)および(c)の留保撤回を国連に通告した。第13条は、「教育への権利(right to education)」について、(b)は中等教育の、(c)は高等教育の「無償教育の漸進的な導入」による機会均等を定めた条項である。日本政府は、1966年の規約批准以来「特に、無償教育の漸進的な導入により、」の部分を留保してきたが、この撤回によって、中等教育、高等教育についても無償化へと漸進的に歩むことが義務付けられた。2022年は、留保撤回から10年を経た形である。
中等教育では、留保撤回に先立つ2010年に、「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」が制定された。この法律は、2013年に「高等学校等就学支援金の支給に関する法律」へと制度改正され、現在の「高等学校等就学支援金制度」の根拠となっている。俗にいう「高校無償化」とされるもので、就学支援金の他に、「高校生等奨学給付金」や各種奨学事業等が用意されている。
高等教育では、2019年に「大学等における修学の支援に関する法律」の成立を受けて、翌2020年度より高等教育の修学支援新制度が開始された。授業料等減免制度の創設と給付型奨学金の支給の拡充という2つの施策の組み合わせで制度設計され、消費税率10%への引上げによる増収分の一部を財源として運用されている。

【無償教育の漸進的導入と地方施策による取組み】
日本国憲法第26条では、第1項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とし、第2項で「義務教育は、これを無償とする」と規定している。義務教育の範疇を超える中等教育・高等教育は、憲法上は無償とされていない。国際人権A規約の留保撤回により、憲法には規定されていないが、無償化に向けた施策が進行中である。しかし、いずれも「就学・修学」の支援が目的であって、授業料等が完全に無償という形には制度上至ってはいない。
その一方で、各自治体では学びを支えていくための独自の支援を設け、通学補助や奨学金(返還助成を含む)などの教育本体以外の周辺部分で、経済的に支えていく取組みも見いだされている。鳥取県では、2020年度から「鳥取県高校生通学費助成事業」を設け、県と市町村で高校生の通学費助成を開始した。ただし、市町村間で対象に関する違いがあり、現役高校生からの陳情により、一部見直す自治体の動きもある。また、県独自の奨学金返還を支援していくための取組みとして、2015年に県内産業界と協力した形で、全国初の奨学金返還助成制度「鳥取県未来人材育成奨学金支援助成金」を創設した。製造業、IT企業、薬剤師、建設業、建設コンサルタント業、旅館ホテル業、民間の保育士・幼稚園教諭、農林水産業と職域は限られるが、これらの職種で県内就職する若者には、県出身者に限定しないで助成する形となっている。
これらの例は一端であるが、このようにして乳幼児期の保育から青年期の高等教育に至るまで(ここには障害のある子ども・青年も含む)の教育無償化へ繋がる取組みを丹念にすくい上げることで、無償教育の漸進的導入の道すじを見出す作業を行っている。